コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/08/18

出口のない海「回天」

▽「出口のない海」。秀逸なタイトルだが、息苦しさに胸が詰まる内容だ。太平洋戦争時、人間魚雷「回天」で出撃した若者の姿を描く横山秀夫さんの小説で、映画化もされた。そこには戦争の不条理が容赦なく描かれている
▽回天は、戦勢挽回のため旧日本軍が1944年2月ごろに考案した特攻兵器。全長14・7m、直径1m、総重量8・3tで、頭部に1・55tの爆薬が積まれた。潜水艦に搭載し、敵艦に接近して発射、あとは搭乗員1人によって操縦され、体当たりで攻撃する。脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず搭乗員の命はなかった
▽同年11月8日に初めて実戦に投入され、終戦までに420基が生産された。特攻や訓練などで亡くなった搭乗員と整備員は145人、戦死者の平均年齢は21・1歳という▽訓練基地としては山口県周南市の大津島が有名だが、全国で20以上の基地回天隊が組織された。そのうちの一つが本県の小浜基地(現いすみ市)で、関東では八丈島に次いでつくられた
▽防衛庁戦史研究所所蔵の資料によれば、小浜基地は45年7月末に長さ約40mの回天2基格納の隧道3本および通路・修理場・ポンプ室、ほかに独立した兵器庫・燃料庫も完成し、格納庫からすぐに出撃できるよう、海に向かってレールも敷設された
▽当時九十九里浜には米航空母艦が接近し、連日のように機銃掃射と攻撃を繰り返していた。このため、回天は隧道から台車に載せられ、レールによって漁港内に運ばれ、キャッチボートの横腹に抱かれて港外に出て、そこから発進し敵艦に体当たりすることになっていた。しかし、回天を運搬する輸送船が途中で触雷して到着しなかったため、山口県・大津島の回天基地から着任した6人の突撃隊はそのまま終戦を迎えた
▽小浜基地のあった大原・八幡岬の先端部には今も基地跡の洞穴が埋もれるように残る。この基地跡もいずれ朽ち果て、人々の記憶からも消えてしまうとすれば残念でならない。戦争遺跡としての保存が望まれる。

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