コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2022/05/17

共感呼ぶ白洲夫妻の生き方

▼戦後の激動期を駆け抜けた白洲次郎・正子夫妻の生き方が、いま注目を集めている。あらゆる価値観が崩れ去った戦後の日本で、屹然と独自性を貫いたそのライフスタイルは、混迷を続ける現代を生きる私たちに憧れと尊敬を抱かせ、心地よい爽快感すら与えてくれる
▼くしくも今年は次郎の生誕120年に当たり、とりわけ夫妻が生活拠点として過ごしたかくれ里「武相荘」(町田市)を通して、本物と美のある暮らしに焦点を当てた企画展も巡回されている
▼白洲次郎(1902~85)は兵庫県に生まれ、英国のケンブリッジ大学に留学。戦後は吉田茂外相に請われ、連合国最高司令官総司令部(GHQ)との折衝にあたり、憲法改正交渉に立ち会い講和条約の締結に奔走した
▼自らのプリンシプル(原則・規範)に従い、相手が誰であろうと主張を曲げることなく、GHQの要求にも英国仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張。GHQと堂々と渡り合う姿から「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた
▼昭和天皇からの贈り物をぞんざいに扱ったマッカーサーに激怒し慌てさせた逸話や、「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」「(GHQに対し)あなたの英語も練習すればうまくなる」などの名言にも事欠かない
▼一方の妻・正子(1910~98)は東京・永田町に生まれ、14歳で米国留学。独自の審美眼で文学・古美術・旅を愛し、数々の名随筆を残した。権威や世評に頼らず、自らの美意識に忠実に日本文化や美を見つめ続けた
▼「どきどきさせるものだけが美しい」と言い切り、いかなる犠牲や苦労もいとわず確固たる価値観を持ち続けた生き方は、強さと潔さを感じさせ、夫・次郎の生き方に相通ずるものがある。いまでも正子が愛蔵した古美術の同手作品は、愛好家の間で〝正子好み〟と称される
▼不確実性に富む現代において妥協を許さない二人の生涯は、今後もより多くの人々の共感を呼ぶだろう。ちなみに、次郎の遺言は「葬式無用、戒名不用」の二行のみである。

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