コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/04/13

「飲み会」の行方

▼コロナ禍で私たちの生活は大きく変わった。めっきり減ったものの一つに「飲み会」がある。わが社でも「3密」となる忘年会は見送り、送別会も延期せざるを得なかった
▼下戸の筆者は、そもそも酒席が不得手で、苦痛を感じることも多かったが、それでも無くなってみると、「飲み会」にはそれなりの役割があったように感じる
▼日本型社会の美点とも言われる「飲みニケーション」。日々会っている相手はもちろん、たまにしか会わない相手であればなおのこと、コミュニケーションが徐々に希薄になっていくのを肌で感じる
▼「飲み会」は、日本ではコミュニケーションの手段として古くから機能していた。さかのぼれば、平安時代にはすでに現在の接待に通じる宴会が開かれていたことが史料から分かるそうで、国司が新任の国に入る折には、土地の人間が酒や食を提供し、名産品などを贈る宴会が行われていた。単に外部から来た人をもてなすだけでなく、同一の共同体に入ったことを象徴する意味があったという
▼宴会のもう一つの特性に「無礼講」がある。参加者は平等で、身分などの格差がなくなり、「公」と「私」の垣根を越えて密談などが行われる場ともなった。とはいえ、「無礼講」が都合よくその場で完結するばかりでないのは周知の通りで、酒の上の失敗が後々まで尾を引くケースは世に珍しくない
▼「公的な宴会は現代に至るまで男性のもので、しばしば男性同士の結束を促す場になってしまう」との指摘も多く、ともすれば女性へのセクハラやパワハラの温床になってきた悪しき面も否定できない
▼近年はコロナ禍以前から「飲み会」にそっぽを向く若者も増えており、酒席で「飲めるが飲まない」という人も20代で4分の1、30代で5分の1に達するという調査結果もある
▼加えて、このコロナ禍では「家飲み」や「オンライン飲み会」などがにわかに増えた。この先、コロナが収束しても、「飲み会」が以前のままのかたちに復することはおそらくないだろう。

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