コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2019/07/30

ゆかりの地に根づく和算学者

▼見知らぬ土地を散策していると、思いがけずその地にゆかりの偉人ともいえる人物を知ることがある。筆者も数年前、本県・長南町の田園に立つ説明版をたまたま見かけて、この地で活躍した和算家(算学者)、吉野昌覚(1805~83年)の存在を知った。和算の流派である関流の奥義を極めた人物だという
▼和算は日本独自に発達した数学で、江戸時代に大きく発展した。関流はその流派の一つで、江戸時代初期から中期にかけて活躍した関孝和を祖とし、その弟子や孫弟子らによって隆盛を極めた。祖の孝和は「算聖」とあがめられ、明治以降に和算が西洋数学に取って代わられた後も、日本数学史上最高の英雄的人物とされている
▼孝和はそれまでの和算とは一線を画し、天元術や演段法を発展させて点鼠術を創始。これが日本数学の基礎となり、数学の問題の難度や理論もより高度で独自のものになった。圧倒的な主流派になった関流により、高度な代数・整数方程式論・解析学・幾何学が実用の範囲を超えて発達した
▼しかし明治に入ると、西洋数学が本格的に導入され、和算も衰退へと向かう。江戸後期になると、和算の担い手もそれまでの都市部の幕臣や侍などから、商家や農家などの出身者が多くなり、低い身分や遠方の人でも高度な数学をたしなむ者が増えた
▼江戸後期から明治にかけて生きた吉野昌覚も、そうした一人であったのだろう。生まれは越後(新潟県)で、江戸に出て和算を学んだ後、諸国を巡り、得度して僧となった。長南町の西光寺に移り、多年にわたり近隣の子弟に珠算や書法を教えた。墓碑は今も西光寺にある
▼関流を中心とした和算の発展に関わった人物は少なくないが、筆者が少し調べた範囲では、残念ながら吉野昌覚の名は見当たらなかった。とはいえ、地元に根付いて子弟らの教育に貢献したこうした人物の存在を忘れてはなるまい。和算という日本独自の数学とともに、その発展に尽力した人物の功績を伝えていくことも、われわれの責務のように思える。

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