コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2017/02/26

巨匠が残した懸け橋

▼数年前に箱根の富士屋ホテルを訪れたとき、研修中の外国人留学生に客室へ案内された。日本語が上手なので、どこの国の方かと尋ねると、ポーランドだという。筆者の乏しい知識で「ワイダ監督の、あのポーランドですね」と言うと、その若い女性の留学生は目を輝かせた。世界的な映画監督は自国の誇りなのだと、当然のことに思い至った
▼アンジェイ・ワイダ氏は、祖国ポーランドの苦難の現代史を一貫して描いてきた映画監督だ。「地下水道」「灰とダイヤモンド」などで国際的な評価を得た。権力と闘う労働者を描いた「鉄の男」で、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した
▼そのワイダ監督は日本文化への深い理解で知られていた。生前、古都クラクフに残した施設は現在、同国最大規模の日本語学校となり、両国の懸け橋となる人々を送り出しているそうだ
▼ワイダ監督は1994年に資金の一部を出して日本美術技術博物館を設立。建設費は、ワイダ氏が「灰とダイヤモンド」などの映画制作にあたって描いた「絵コンテ」と引き換えに、日本で寄付を集めた。ポーランドの日本美術愛好家フェリクス・ヤシェンスキが1900年前後に収集した浮世絵など約7千点を展示する
▼その直後に日本語コースが開設され、校舎も建てられた。いまでは博物館に年間10万人が訪れ、日本語コースには100人ほどが籍を置いている。日本文化に憧れて博物館を訪れ、学校の存在を知った人も多いと聞く
▼ワイダ氏は18歳の時、展覧会で浮世絵を目にして、その美しさに魅せられた。89年、歌舞伎役者の坂東玉三郎を主演にドストエフスキーの「白痴」を下敷きにした舞台「ナスターシャ」を演出。95年には日本政府から勲三等旭日中綬章を受けている
▼昨年10月に惜しくも90歳で亡くなったが、日本への愛はいまも祖国ポーランドで脈々と受け継がれているようだ。考えてみれば、筆者がポーランド留学生と交わした会話も、ワイダ監督の築いた懸け橋の上に成り立っていたのかもしれない。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ