2016/10/18
「千葉開府890年」の意義
▼今年は「千葉開府890年」とのことで、ポスターや旗を街のあちこちで見かける。『千葉市のルーツ「千葉氏」890年前 このまちが開かれた』という惹句入りのポスターは、なかなか斬新なデザインで目を引く。千葉都市モノレールにラッピング車両も登場し、記念イベントが多彩に催されている
▼890年とは、平安時代からの長いスパンで言えばさほど切りのいい数字とも思えないが、10年後の900年という大きな節目に向けた機運の醸成やカウントダウンの意味と考えれば、それなりの意義もある。まちの歴史をひもとく機会とし、次世代へ伝える取り組みの盛り上がりを期待したい
▼開府890年は、平安時代後期の武将・千葉常重が亥鼻(中央区)に本拠を構えた1126年6月1日にちなみ、これを県都・千葉市の都市としての始まりと考えてのもの。常重は初めて「千葉氏」を名乗り、その長男の常胤は、戦に敗れて房総に逃れてきた源頼朝に味方し、鎌倉幕府の成立に貢献した
▼妙見実録千葉記によれば、千葉の地名は全国あちこちで伝わる羽衣伝説に由来する。亥鼻城下に千葉(せんよう)の蓮の花が咲き誇る池があり、ここに天女が舞い降り、傍らの松の枝に羽衣を掛け、蓮の花の美しさに見入っていた、やがて時の城主平常将の知るところとなり、家来に羽衣を隠すよう命じた。それで天女は天に帰れず、常将の妻になった
▼この話が京の天皇の耳に達し、深く感銘した天皇が「前代未聞のことなので、その地を千葉の蓮の花にあやかって千葉と名乗れ」と仰せになったという
▼常将は系譜上は千葉氏家祖・平忠常の子とされるが、記録上確認できる千葉氏の初代は一般的に常重とされる。いずれにしても、話は11世紀から12世紀にかけての時代にまでさかのぼる
▼現在、県庁脇の羽衣公園にある「羽衣の松」は、千葉県の人口500万人突破の記念事業として復元されたもので、ふだん何気なく通り過ぎているが、こうした歴史や伝説を知った上でこの松を眺めるのも一興だ。