コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2016/09/06

強調表現「ほぼほぼ」の隆盛

▼最近「ほぼほぼ」という言葉をよく耳にすると思っていたら、先日の新聞にこれに関する記事が出ていた。「ほぼほぼ最近の心境が書かれています」「大枠ではほぼほぼ共通のものがあると思います」など、著名なスポーツ選手から評論家、政治家までが使っている
▼仲間内や親しい間柄なら使っても問題ないだろうが、現時点では公の場や新聞などでは使いにくい。それでも数年前に衆院法務委員会における発言でこの言葉を使った大臣もいたというから、違和感なく使われる日もそう遠くないのかもしれない
▼「ほぼほぼ」は「ほぼ」を重ねた強調表現。新語に類するかは微妙だが、島崎藤村が「破戒」で「今」を強調するために用いた「今々」や、源氏物語で「いと」を重ねた「いといと」など、強調表現は日本語では珍しくはない
▼強調表現というからには、意味の度合いも当然変わる。街の声では「進捗度で言えば、ほぼが90%、ほぼほぼは95%」だそうな。感覚的には確かにそんなものだろうか
▼一つの言葉が流通したかどうかは、①多くの人が使い、誤解を生む恐れがない②相手に失礼でない③一見不合理でも、意味や文法、音韻から何らかの説明が可能――の3条件が基準になるという
▼「ほぼほぼ」については、「自分の気持ちをわかってくれるかと、相手を非常に意識して発せられた言葉」とか「人間関係が希薄な現代社会で、相手との適切な距離を保とうとして生み出した防具のような言葉」とのうがった見方まである
▼日本語は、何気なく話す言葉にも必ず何らかの意図が潜んでいると言われる。日本語は繊細で、ゆえに微妙な表現も可能となる。半面、日本語が母国語ではない人には極めて難しい言語とも言えるだろう
▼言葉とはそもそも生き物。50年、100年前の小説などを読むと、いまや死語と化した言葉がたくさんあり、言葉が時とともに移ろっているのがわかる。消えてゆく言葉も多い一方で、流通し浸透していけば、どんな新語や造語も常用語となりうる可能性がある。

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