コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/06/23

戦争遺跡「掩体壕」が語るもの

▼今年は終戦から70年の節目ということもあり、戦争遺跡に焦点を当てた話題も目立っている。あちこちに残る戦争の痕跡に触れることで、戦争そのものを考える契機としたいものだ
▼本県内にも戦争遺跡は数多くある。太平洋戦争時に海軍航空基地のあった茂原もしかり。茂原航空基地は住民の強制移転により1941年9月に建設が始まり、終戦まで使用された。攻撃から飛行機を守るために入れる掩体壕(えんたいごう)は今も市内に11基残る
▼土堤のみで屋根(天井)のない簡易な掩体壕もあるが、通常はコンクリート製で、少ない資材で大きな強度が保たれるかまぼこ型をしている。コンクリート製の大型構造物だったため、取り壊しが難しくそのまま残されることにもなった。保存措置が講じられているものもある一方、危険な状態で放置されているものも少なくない
▼筆者も以前、茂原市内で何か所かの掩体壕を見た。市内に入り県道茂原環状線を進むと、両総用水に架かる東郷橋付近に多く点在する
▼サイパン島陥落後、本土への空襲が激化し、本土決戦が叫ばれる中で、大本営は米軍の上陸予定地の一つとして九十九里浜を想定。このため、茂原航空基地は本土防衛拠点としての役割を担い、米軍の攻撃から飛行機を守るために全国で最多の17基の有蓋掩体壕が造られた
▼市内最大の掩体壕は住宅地の外れにあり、95年に戦後50年を記念して市が借地し説明版を設けた。総面積365㎡、壕の中の面積286㎡、高さは最大6・7mに及ぶ。当時の長生中学校や茂原農学校の生徒や周辺の住民らを動員して突貫で造られた。土砂を壕の形に盛って転圧し、ムシロや板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流したという
▼実際に目の当たりにする掩体壕には、何ともいえない生々しさが感じられる。こうして半ば保存された遺跡でさえ、このさき老朽化が進めば、崩落などの危険性が増してくる。他の壕と合わせて、戦争の記憶をとどめおく貴重な遺跡として長く後世に伝えていきたいものだ。

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