コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/06/30

遠い終戦「戦争マラリア」

▼先週23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった人たちを悼む「慰霊の日」だった。沖縄戦の悲惨さは語れど語りつくせぬものだが、〝もうひとつの沖縄戦〟と呼ばれる「戦争マラリア」については意外と知られていない
▼1945年に日本軍の命令で八重山の島民がマラリア汚染地(有病地)へ強制疎開させられ、1万7000人弱の罹患者と3647人の犠牲者を出した。とくに波照間島は全島民が西表島の南風見に強制疎開し、疎開中と戦後の帰島後を合わせ島民の98%が罹患、3人に1人が犠牲となった
▼筆者が戦争マラリアを知ったときの衝撃は、いわゆる沖縄戦とはまた別の意味で大きかった。本来なら地域の住民を守るはずの日本軍が住民を強制的にマラリア有病地へ追い立てた事実に、驚きと憤りを感じずにはいられなかった
▼有病地への強制疎開は、石垣島への米軍上陸を想定した軍が住民を避難地へ退去させるためとされるが、実際には、有病地に運べない家畜を日本軍の食料として確保する狙いがあったと言われる
▼八重山平和祈念館(石垣市)には、戦争マラリアの実相を後世に伝える資料が展示されている。体験者の証言には「戦争も終わり、家に帰ると、家は爆風でつぶされ、畑の芋などは全部、日本兵にとられていた」(石垣市・新城良夫さん)など、日本軍への怒りがつづられている
▼とくに波照間島住民の西表島南風見への強制疎開は、ほとんど山下虎雄という1人の軍人によって引き起こされたものとも言われる。大泊ミツフさんの証言では、山下は日本刀で「疎開に反対する者は切り殺す」と脅迫し、誰も疎開に反対できなかったという。疎開先での生活は劣悪極まりないもので、マラリアが住民を容赦なく蝕んだ
▼大浜方郁さん(石垣市)は「孫から戦争の話をせがまれて、肉親を敵の弾でなく、疎開の果てにマラリアで犠牲になったと話すのは複雑だ」と語る。終戦から70年。沖縄の置かれた現状を考え合わせれば、沖縄の終戦はいまだ終わってはいない。

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