コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/03/18

震災3年

▼東日本大震災から3年を迎えた先週は、多くのメディアが震災関連のニュースで埋め尽くされた。震災関連死などの深刻な問題もクローズアップされ、記事の中には「進む風化、進まぬ復興」といった言葉も目についた。総じて明るいニュースは少なく、山積する課題の前で悲しみは癒えにくく、復興への道のりは依然遠いと思わざるを得なかった
▼いささか情緒的にすぎるかもしれないが、肉親などを亡くされた被災者の方々に思いを馳せるとき、筆者はなぜか、夏目漱石の「夢十夜」第一夜を思いだす。死んだ女の墓のかたわらで、再会を願って待ち続ける男の話だ。女が死に際に「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言い置いていったのを、男は信じて待ち続ける
▼女が言い残していった言葉を頼りに、日が東から出て、西に沈むのを一つと数え、次の日には二つと数える。来る日も来る日もそうするうちに、どれほど赤い日を見たか分からなくなり、ついには、いくら数えても数えつくせないほどの日が男の頭の上を通り過ぎていく。それでもまだ百年は来ず、しまいに男は、墓の上の苔の生えた丸い石を眺めて、女に騙されたのではないかと不安になる
▼するとそのとき、石の下から青い茎が胸のあたりまで伸びてきたかと思うと、茎の先のつぼみが花開き、白い百合が「鼻の先で骨に徹えるほど」の匂いを放つ。やがて百合から顔を離したとき、男は遠い空に瞬く一つの暁の星を目にする。彼はこの瞬間、百年が来ていたことに気づくのである
▼「命のある限り、希望はある」と言ったのは、スペインの作家セルバンテスだった。生きていさえすれば、どんな形であれ、いつの日か大切な人と再会できる。漱石はそう言いたかったのではないだろうか。ふいに胸元まで伸びてきた青い茎も、その頂でふっくら開いた百合の花も、空からぽたりと落ちかかってその花を揺らした露も、遠い空に一つ瞬いた暁の星も、今はすべてが希望につながる励ましのように思えてならない。

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