コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/02/04

野球に見る感覚の違い

▼先月28日に都内で開かれた日本専門新聞協会主催の講演会で、講師を務めた作家の曽野綾子さんが、アルジェリア人質事件とも絡めて、文化や慣習の違いでそこに生きる人々の見方や考え方がまったく異なることを、様々なエピソードを交えて力説されていた。常識はあくまで“我々の常識”でしかなく、広い世界で日本がどれほど平和で豊かな国であるかを改めて教えられた
▼飛躍はあろうが、日米の野球にもずいぶん感覚の違いがあるようだ。大リーグ球団のほかロッテでも監督を務めたボビー・バレンタインさんが新聞紙上のインタビューで、大リーグに挑戦する日本人選手で野手の評価が低い理由として“ビジュアル”という要素を挙げていた
▼とくに内野手はビジュアル、つまり見た目が問題で、多くの日本人内野手の守備には、米国人が見たとき、ビジュアルな魅力が感じられない。「大リーグの内野手の多くはラテン系で、リズミカルに動き、シングルハンドで自在にボールをさばく。日本人には、そういった軽やかさ、ビートを刻む感じがない」のだと
▼伝統とは代々受け継がれてきた不変なものと考えがちだが、こと日本の食文化においては、変化の積み重ねが伝統を培ってきたともいえそうだ。伝統の継承には、伝統を守ろうとする力だけでなく、変えようとする力も必要で、その両方の力がなければ、伝統の維持は難しい。変革の力が強まってこそ、保存しようとする力も働くということなのだろう
▼そのリズム感があれば捕れない打球も捕れるのかといえば、まったくそういうことではないらしい。あくまで主観的な評価にすぎず、能力や技術とも別物だが、それこそが重要な要素なのだという。リズミカルでない選手は、ファンの目にもグッドプレーヤーとは映らないそうだ
▼こうしたことは、スポーツマンシップのあり方の違いでもあろうし、ひいては生まれ育った文化や環境の違いによるものでもあるだろう。世界中どこであれ、どんな分野であれ、ところ変われば、まずは自分の常識というものを疑ってみる必要がありそうだ。

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