コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2020/08/04

鏡花の時代の洪水

▼今年の梅雨は長く、激しかった。梅雨に雨は付き物とはいえ、各地が局地的な豪雨にさらされ、とくに熊本県を中心に九州で河川の氾濫などによる甚大な被害が発生した。じめじめ、しとしとと降り続く梅雨の印象はすっかり様変わりした
▼小説家・泉鏡花(1873~1939年)の短編「絵本の春」にも、彼の故郷金沢と思しき町を襲う2度の洪水の話が出てくる。一つは「明治7年7月7日」、もう一つは「大正…年…月の中旬」とある。前者では大雨が7日7晩続き、「七の数が累なって、人死も夥多しかった。伝説じみるが事実である」と文中で念押しするほどの被害だったようだ
▼後者では昼過ぎに「大川に洪水した」とある。「町の目貫へ続くところに、木造の大橋があったのを、この年、石に架(かけ)かえた」と記されていることから、大正12年7月18日の洪水を指すとみられる
▼約1年遡る11年8月3日、未曽有の豪雨で当時木造だった浅野川大橋と犀川大橋が流失し、同年と13年にアーチ型のコンクリート橋とトラス型の鉄橋に相次ぎ架け替えられた経緯がある
▼大正12年と思われる洪水では、幸い白昼の出水で死者はなかったとしながら「二階家はそのままで、辛うじて凌いだが、平屋はほとんど濁流の瀬に洗われた」とあり、昨今目にする豪雨被害の光景と重なるものがある
▼さらに小説では、川の裏小路の二階に間借りしている老婆が登場し、「水の出盛った二時半頃、裏向の二階の肱掛窓を開けて(中略)膝を宙に水を見ると、廂屋根(ひさしやね)の屋根板は、鱗のように戦(おのの)いて、――北国の習慣(ならわし)に、圧(おし)にのせた石の数々はわずかに水を出た磧(かわら)であった」と、平屋部分の屋根まで水が上昇したさまが描かれる
▼小説のオチは、翌日、洪水で流された無数の蛇が砂浜から一斉に鎌首をもたげて空を仰ぎ、コツコツ、カタカタと音を鳴らすというもので、ユーモラスながら不気味でもある。今日の教訓として読み取るなら、災害後も気を抜くことなく、常在戦場の心構えでいろとでもいうところか。

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