コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2020/07/07

巣ごもりで得た壺

▼先の巣ごもり期間中に骨董熱がぶり返し、ネットで2つの花瓶を手に入れた。価格からして真贋のほども定かでないが、外出制限の中で古のロマンに浸ることができた▼歌僧にして陶芸家の大田垣蓮月(1791~1875年)と、絵師にして京焼の陶工の青木木米(1767~1833年)の作品で、ともに高さ20㎝余り。蓮月の花瓶は表面に自作の和歌が流麗な書体で鉄釉により書きつけられて、木米のほうには漢詩が力強く白釉を用いて意匠されている
▼蓮月の花瓶はややほっそりしており、木米の作品は、高さと同じほどの幅で、胴の正面に大きな凹みが加えられている。片や女性的なたおやかさ、片や男性的な豪快さで、対照的な印象だ
▼作品に惹かれて調べると、両者とも多彩な人だったことがわかる。蓮月は歌のほかにも、茶の湯、生け花、舞歌など芸術一般に秀でていた。肉親らとことごとく死別するなど幸せな一生とは言い難いが、生計を立てるために始めた陶芸では、器に自らの歌を施した「蓮月焼」を創始し、大変な人気を博した
▼数々の武技にも長じ、しかも大変な美貌の持ち主で、男性に言い寄られるのを嫌って自ら歯を抜き相貌を変えたとの逸話まで残る。陶芸などで得た利益を、橋梁工事などの社会奉仕や慈善事業に使ったともいう。芯の強い女性だったのだろう
▼一方の木米も負けず劣らず、陶芸の作域は白磁、青磁、赤絵、染付と広く、書や絵画にも秀でていた。作陶では窯の温度を耳で判断するため、耳はいつも赤く腫れあがり、完治する間もないほどで、晩年には音を失った。いま手元にある花瓶の異様な迫力も、そんな逸話を聞けば納得がいく
▼両者の生涯は時期的に重なる。両者の周囲には上田秋成などの名前も共通して現れる。ひょっとして蓮月と木米には接点があったのではないか。同じ陶芸家として京都で活躍していて、接点がなかったと考えるほうがむしろ不自然だ。尽きることなきロマンを感じて、2つの花瓶をそっと並べて置いてみる。

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