コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/02/06

ロマン広がる鵜原の縄文遺跡

▼南房総国定公園内にある景勝地「鵜原理想郷」(勝浦市鵜原)の岬の高台周辺が縄文時代の遺跡と確認されたという地方版の記事を目にした。市民が縄文前期の土器片を発見し、県教育委員会文化財課が現地調査を行ったという。千葉県南部の縄文遺跡の分布はまだよくわかっていないこともあり、県内の縄文遺跡を知る上で貴重な資料になりそうだ
▼今回の遺跡とどれほど関連するかはわからないが、土器片が見つかったその場所の地名が何とも興味深い。海を望む散策路脇にあり、「手弱女平(たおやめだいら)」と呼ばれている
▼調べてみると、手弱女とは「優しい女、しとやかな女」などたおやかで優美な女性を指す一方、「浮かれ女、あそびめ」などの意味もある。「立派な男、勇気がある強い男」を意味する益荒男(ますらお)の対義語に当たる。万葉集などにも手弱女の語を詠み込んだ和歌がある
▼鵜原の地にいつごろからこの地名がついたかは定かでないが、そこから縄文遺跡が発見されたことには、どこか歴史的な縁(えにし)を感じてしまう
▼土器片の一つは縄文前期の「浮島式」と呼ばれるもので、もう一つは植物繊維が混じった、縄文早期から前期のものとみられるそうだ。ただ、風が強い岬の上なので遺跡は住居跡ではなく、近くの海蝕洞窟に拠点を置いた当時の人たちの活動の場所ではなかったかと専門家は分析する
▼鵜原理想郷は、太平洋の荒波に浸食された典型的なリアス式海岸で、詩人の与謝野晶子にも詠まれた景勝地として知られる。大正初期にはここを別荘地とする計画があり、「理想郷」と呼ばれるようになった。時の鉄道大臣大木遠吉の秘書、後藤杉久が別荘地分譲を開始してから脚光を浴び、後藤は風光明媚なこの地に大臣村の建設を計画。東京から大臣らを招いては日夜、大園遊会を催したという
▼今ではそんな過去の脚光も嘘のように静かな場所だが、今回の土器片発見で長い歴史がつながった気もする。縄文人もこの地の美しさに惹かれていたのではと考えるだけで、ロマンをかきたてられる。

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