コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2016/03/15

大原幽学のダ・ヴィンチ的天分

▼千葉の偉人といえば、古くは日蓮、菱川師宣、伊能忠敬らが思い浮かぶが、江戸末期の農業指導者、大原幽学(1797~1858)も忘れてはならない。ただしその広範な業績を知れば、農業指導者の一言ではくくれない。少々大げさかもしれないが、ダ・ヴィンチ的天分をしのばせるものがある
▼幽学は、世の中が混乱した幕末にかけて農民の教化と農村改革運動に奔走した。その改革の中心地となったのが長部村(現・旭市)だ。その業績は大きく教育的実践、生活的実践、農業的実践に分けられる。「教育」では指導方法、女性・子どもの教育、神文、景物、旅と歌、「生活」では先祖株組合の結成、共同購入、生活改善、家屋普請、丹精、医薬、「農業」では耕地整理、住居移転、年中仕事割、正条植、自給肥料といった具合だ
▼なかでも注目されるのは、道徳と経済の調和を基本とした性学(せいがく)だ。簡単に言うと、欲に負けず人間の本性に従って生きる道を見つけ出そうとする学問で、家や家族を守るには、仲間を大切にする「和」と、親兄弟を大切にする「孝」が大事だと説く。幽学はこれを農民や医師、商家の経営において実践指導した
▼もう一つの大きな業績は、先祖株組合の結成。互いに助け合い、生活を改善していくための村ぐるみの組織で、世界初の協同組合と言える。共同購買などをはじめ、耕地整理、住居の分散移などを行った
▼こうした実践によって村は復興を果たしたが、その晩年は失意に満ちたものだった。幽学の教えに反感を抱く役人らが村へ押し入る事件が発生し、江戸と現地を行き来する取り調べの末に有罪となり、長きにわたる裁判と指導者の不在で村は再び荒廃。江戸で刑期を終えた幽学は62歳で自死した
▼幽学の業績を見ると、多岐にわたるその活動が彼の中ではすべて有機的なつながりをもっていたように思える。どれも実生活に根付いたものである点が素晴らしい。現代の学問・研究が細分化、専門化するありように、警鐘を鳴らしているようにも感じられる。

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