コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/12/01

課題つきつける世界遺産「軍艦島」

▼日本専門新聞協会の定例行事で、九州・長崎の軍艦島を訪問する機会があった。今年7月に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録され、一躍人気の観光スポットとなったが、物見遊山の安易な気持ちで行くべき場所ではないことを、まずもって教えられた
▼長崎港の南西約19㎞の沖合にある軍艦島は、45分ほどのクルーズを経て、まさに軍艦のような威容で海上に姿を現す。海が荒れていれば、上陸はもちろん、クルーズ船が周回することさえ難しいという。筆者らが訪れた日は幸い秋晴れで海も凪いでいたが、数日前にドルフィン桟橋に渡す船会社のデッキが損傷するアクシデントで、直前まで上陸が危ぶまれていた
▼ぎりぎり修復が間に合い、好天の幸運も重なって、上陸を果たすことができたものの、この島がいかに過酷な環境下にあるかを思い知らされた
▼島は面積約6・5haで、正式名称を「端島」という。1870年に石炭の採掘が始まり、90年に三菱の所有となったが、製鉄用原材料に適した良質な石炭を産出したことから、埋め立てにより現在の形状となった。1916年以降、高層住宅が次々と建設され、学校や病院、商店、娯楽施設まで整備された。最盛期には5千人以上が生活し、人口密度は当時の東京都区部の9倍にも及んだ
▼しかし、エネルギー供給の主体が石炭から石油に転換したことで74年に閉山、無人島となった。現在は見学通路が一部に整備され、3か所の広場から島内を見学することができる。廃墟と化したその姿は、かつての石炭産業の隆盛とともに、エネルギー政策の転換という歴史に翻弄された島の過酷な運命をも今に伝える
▼元島民で「NPO法人軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長は、筆者ら一行を前に、故郷を去らなければならなかった島民の複雑な思いを熱く語った。政策転換を迫られる現在のエネルギー事情とも重ねて、「島を世界遺産として保存するだけでは意味がない」と強調する氏の語りには、心揺さぶられるものがあった。

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