コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2015/02/10

モディアノと早川雪洲

▼2014年ノーベル文学賞を受賞した仏作家、パトリック・モディアノの自伝的小説『家族手帳』(水声社)の中に、第二次世界大戦のさなか、著者の父母とパリで交流のあった日本人の名が出てくる。草創期のハリウッドでトップスターとなった早川雪洲である
▼小説によれば、著者モディアノの父母は、1940代初めごろ雪洲と昵懇だった。「(雪洲とその妻フロ・ナルデュスは)シャルグラン通り一四番地にある中庭の奥の小さな家に住んでいた。そこに父と母はよく来ていた」とある
▼自伝的小説とはいえ、幾多のフィクションが交えられてはいるだろうが、あの不穏な時代に、この2組の夫婦が思いがけない出会いを果たしたのははたして事実か興味がわいた
▼調べてみると、雪洲には大きく二度の渡仏経験がある。著者の父母と接触があったとすれば二度目のほうで、雪洲は1937年に妻子(妻はハリウッド草創期の人気女優、青木鶴子)を日本に残してパリに移り住み、それはドイツ軍占領後まで続いた。したがって当時、著者の父母と交流があっても何ら不思議はない
▼著者の父はユダヤ人で、その出自を隠しながら偽名で闇のブローカーとして生きざるを得なかった人物。アメリカを第二の故郷とする雪洲もナチスとは距離を置いていたと言われ、そうした意味では似通った境遇の二人だったのかもしれない。小説には、父が1か月間、雪洲の家に身をひそめていたとの記述もある
▼女性関係ではしばしば問題を起こした雪洲だが、前述の妻・鶴子の存在はよく知られている。しかし、小説に登場する妻フロについてはどうなのか。フィクションも交じっているのか、あまり表面に出てこない人物のようだ
▼ところで、雪洲は千葉県安房郡千倉町(現・南房総市)千田の出身。1886年6月に裕福な網元の早川家に生まれ、当初、軍人を目指した。それが様々な偶然も重なって世界的なスターに。その生涯は波乱万丈だが、世界に知られた千葉の偉人としては間違いなく筆頭格だろう。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ