コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/05/19

オリーブ1本分の日本奴隷

▼教科書などに登場する官製の歴史を「正史」と言うのに対して、正史では取り上げられることのない民間の歴史を「稗史」(はいし)と呼ぶ。「稗史」の中でも、たとえば国定忠治や清水次郎長などは半ば民衆につくられたヒーローとしてよく知られる存在だ。しかし大多数の人間は、稗史の中にすら痕跡を残さず消えていく
▼安土桃山時代末の1957年に、3人の日本人が「奴隷」としてメキシコに渡っていたことが、ポルトガルと東大の研究者によって明らかにされた。メキシコ国立文書館に残る異端審問記録で確認され、日本人の太平洋渡航を詳細に記した資料としては初めてという
▼審問記録に日本名の記載はないが、名前の後ろに「ハポン(日本)」と書かれ、「ガスパール・フェルナンデス」「ミゲル」「ベントゥーラ」という、日本生まれの男性と思われる名前があった。このうちガスパールは豊後(大分県)生まれで、8歳だった1585年、長崎で日本人商人からポルトガル商人に3年契約約7ペソで売られた。当時のスペインで高級オリーブが1本8ペソというから、その命の価値の何と軽いことか
▼驚いたことに、日本人奴隷の輸出はポルトガル人が種子島に漂着した1540年代終わり頃に始まり、16世紀後半には多数の日本人がポルトガルや南米に輸出されていた。1582年にローマへ派遣された少年使節団も、世界各地で日本人奴隷が安値で売りさばかれ、家畜のように扱われ、みじめな賤業に就くのを見て、同胞をやすやすと手放す日本人への憤りとともに憐憫の情を催さずにはいられなかったと記している。豊臣秀吉が1587年に発布した宣教師追放令にも、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じる規定があり、奴隷貿易の横行が日本の鎖国体制確立の第一歩になったとさえいえる
▼今回明らかになった3人は、図らずもこれで「稗史」の片隅に加えられることになるのだろうか。おそらくは氷山の一角でしかないその存在からは、あまりにも悲しい歴史の現実が透けて見える。

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